授乳記録がでてきた。頑張っていたんだな、私。そして子育て中の皆さん!頑張ってるって自分を褒めて!と思ったはなし。
小2の娘。学校の授業で「自分史」の時間があるそうです。
産まれた時の話。名前の由来。保育園の頃。七五三。
いろいろな場面をインタビューをするとのこと。
写真はデータで持っていたけど何も準備していなかった・・・。
どこにまとめたかな~なんて思ってごそごそ家の中を探していたら、
病院を退院してからの授乳記録がでてきました。
写真は3週目と4週目。
右左は右乳・左乳
お・・おしっこ
う・・うんち
我ながらすごい記録していたんだな~と読み返して思いました。
これは4週間目。
今は、スマホとかで管理するんでしょうか??
娘が産まれた時はまだガラケーでスマホが増えていく段階でした。
ですので、まだアプリもなく手書きだったんですよね。
まぁ。スマホがなかった・・・というところでも娘は驚いていました(笑)
授乳は3時間置きと言われていますが、欲しがった時に飲ませてという産院の指導もあったので、泣いたら飲ませていたんだと思います。
あと、オムツ・・・。実は私知らなかったんです。
おしっこ1回くらいじゃオムツを変えなくてもいいって。
青い線がでたら速攻変えていました。
産院は布おむつ。濡れたらすぐ変える。
母に聞いても私を布で育てていたからわからないと言われ、しかもママ友もこの時はいない。
気軽にスマホで検索もできないって状態でした。
(今思えば無知だったんですよね。しかも質問さえ思い浮かばなかったので誰にも聞いていませんでした。)
さて、この授乳記録を娘に見せたところ、
「いつ寝ていたの??」
と聞かれました。
本当にいつ寝ていたのか。。
記憶にもなく・・・。
命を預かっている。この子の命は私が守らないといけない。
プレッシャーもあったんでしょうね。
静かに寝ている姿を見ても、静かすぎて息をしていないんじゃないか・・・という不安もあり、寝れなかった。
夜泣いて一晩中起きていたこともあります。
抱っこしたままじゃないと寝てくれなくて、ずっと立っていたこともしばしば。
そんな記憶も蘇ってきました。
これが続くんです。1週間や2週間で終わることはない。
いつかは終わるけど、いつ終わるかわからない・・・という不安に駆られたこともあったと思います。
「つらくなかった??」娘が聞いてきます。
もしかしたら体力的にはつらかったのかもしれないけど・・・。
娘がかわいくてかわいて、そして心配で心配で、そんな気持ちも感じることがないまま子育てをしていたのかな。
大変だったことを忘れていた。と伝えると、
「覚えていないなんて・・・そんなことある!?」
と驚いていました。
ね~。こんなに忘れているとは・・・自分でも驚きました。
正直、よくやってたね。私・・・。
頑張っていたね・・・私。
とこの授乳記録をみながら思ってしまいました。
この状態に、
家事(食事や洗濯などもろもろ)も入ってきて・・・。
もし、兄弟姉妹がいていたらこの時間に被せて育児も入ってくるんですよね。
急な熱もあるだろうし、幼稚園に通っていたら送りもお迎えもある。。
24時間どうやって過ごしているのか・・・。
「子どもを育てる」って本当になんていうか・・・
言葉が見つからないのですが・・。
すごいことだな~と。(結局陳腐な言葉ですみません。)
うちはひとりっこ。子どもを育てる大変さを感じましたが、私自身が、年子の妹。改めて自分の母の偉大さも感じました。
よく私を抱っこ、姉をおんぶして、掃除機をかけていたと聞いていましたが自分が子育てをするようになってから大変さを実感しました。
職場復帰しても夜の授乳は、続いていました。(もちろん授乳記録ほどではないですよ。)小児科の先生からは授乳は子どもの精神安定剤だから、無理に卒乳を考えなくてもいいからと言われその言葉に甘えて、卒乳するのも遅かったと思います。
娘にもいろいろ我慢させていたとも思います。
娘は今回のことで、何を感じてくれたのか、どんなふうに思ったのかわかりませんが、夜は本を読むことにプラスして、小さいときのお話をしてとよく言うようになりました。
そして、私も改めて、幸せを感じることができました。
これから子育てをする人、今子育て中の方、そして、そうそうこんな感じだったと感じてる方、もっと大変だったよ~と思っている方。
頑張ってます。頑張りました!!
自分を褒めて。褒めて。褒めまくってください。
今日も1日幸せに過ごせますように。
そして、なんか今日のブログはポエムっぽくなっている。。笑
この記事を書いた人
◎profile
エイターママ
小学2年生(娘)の母。両家の祖父母が遠方なため、典型的な核家族
待機児童問題でメディアに取り上げられることが少なくなっている小1の壁が山脈のように続き2年生でも壁は越えることができなかったけど周りに助けてもらいながらなんとか、山脈を登っている途中。